ラクイラ 

〜 復興に向けて 〜

 

 

 

蘇るラクイラ・・・

2018年9月のラクイラ。

あまりの変わり様に目を見張りました。

時季や時刻を変えて訪れるたび、人出の多さに嬉しい驚きを感じることこそあれ、のんびりした修復工事をよそに人々のゆったり構えた明るさに救われてきたものです。

ところが僅か10か月足らずでメインストリートには真新しい建物が並び、スマートな店や飲食店が次々オープンし、毎週のようにそこかしこで開催されるイベントには通りに溢れんばかりの人々が詰めかけます。

来春で震災後10年、この節目に日本との交流イベント計画中です。

どうぞ合わせてご覧ください。

お願い:このページは日付順に並べておりますが、撮影場所や季節、時間帯による違いもあります。復興の進行状況を意味するものではないことをご承知おきください。

2018年10月


人々の誇りであるサンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ聖堂の再開にも後押しされたのだろうか。

2019年4月6日の震災後10年の節目に向かって急速にエネルギーを取り戻しつつあるように見えるラクイラでは、ほぼ毎週末大きなイベントが開催されている。

夜になると鮮やかな色でライトアップされ、イベントに賑わいを添えている。

ここまで工事に時間がかかったのは、ライフラインを全て地下に構築するイタリアでも最新構造だと言われる『スマートシティ』計画遂行のためだったと若い住民たちは胸を張る。

合わせて、個人宅に出向き耐震・免震の技術的アドバイスを行うサービスや消防によるレクチャーなど、民間・公共ともに安全・安心をサポートするための試みも随所で見かけた。

日本政府の寄付による体育館は、予定より遅れてはいるものの完成間近に見える。

財団は落成式を迎え、劇場や図書館も着工を待っている。

Piazza DuomoからCollemaggioバスターミナルに通じる地下トンネルも開通した。エスカレーターや動く歩道はまだ起動しておらず、やや勾配が厳しいもののこれから冬に向かって悪天候にはありがたい存在になるはず。

ペスカーラの一口ピッツァチェーンが出店し流行っている。自店では窯の薪までこだわり抜くピッツァ職人が絶賛して連れて行ってくれたのが興味深かった。

メインストリート沿いに真新しい家屋が次々仕上がっている。「家は次々仕上がっているが、皆避難してしまって住む人の方が少ない。懐に余裕があるなら今が買い時だよ、震災前の半分近い値段になってるから」とシビアな声もちらほら聞く。


2018年イースター


サン・ベルナルディーノ教会から復活祭の準備が整ったと知らせが届いた。

シエナの聖ベルナルディーノに捧げた聖堂で、震災後は国家の文化遺産として復興が最優先され2015年5月にいち早く再開して市民たちが集まれる場、希望の象徴となっている。

2018年1月


消防士たちが演出したベファーナ

クリスマスシーズンを締めくくる1月6日のエピファニア(公現祭)

ラクイラのドゥオーモ広場では消防士たちがクレーンを使ってホウキに乗ったベファーナ(魔女)を演じるイベントが。

旧市街の中央通りは広場に向かう人々で埋まり、広場では(残念ながらベファーナの登場には間に合わず!)消防士たちがホットワインやホットチョコレートを振舞っている。

クリスマスイルミネーションもこの日まで。翌朝には町のあちこちで豆電球をひっそり回収している人の姿が。

2017年12月


サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ聖堂の再開

201712月、ラクイラのサンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会が8年8か月ぶりに再公開された。

(Abruzzo web より抜粋)

クリスマスに間に合わせるため巨大企業エニが1200万ユーロを投じた修復作業は20171213日、チェレスティーノ5(ケレスティヌス5)退位の723年目に終了し、1220日にダリオ・フランチェスキーニ文化財・文化活動相らがラクイラ市民たちに加わり式典が執り行われた。式典の最後には1287年に設立し1296年ここで戴冠、キリスト教史上初のペルドナンツァを始めたチェレスティーノ5世の遺骨を教会内に戻す儀式で締めくくられた。

ラクイラの象徴であり、震災前を忠実に再現したシンプルな中に荘厳さを保ち修復された仕上がりはまさにチェレスティーノ5世の意向に沿うものであると好評を得ている。

 

ダリオ・フランチェスキーニ相

ラクイラの象徴を再建するために実現した公共と民間の歴史的コラボレーションだと称し、さらにはロシア政府の出資により再建されたPalazzo Ardinghelliにて年間200万ユーロを当てラクイラMAXXI(国立21世紀美術館)実現する喜びを語った。

 

修復のために1200万ユーロを出資した大企業エニを代表して列席したクラウディオ・グラナータ氏

クリスマスに間に合わせるためわずか2年で完了した仕事ぶりに欧州議会ディヴィッド・サッソリ副会長も賞賛を表明しているように、イタリアを代表する大企業として地域社会を尊重し期限を守ることに慣れている私たちにとってさえ、ここでの協働作業は比類ないもので非常に満足しています。情熱や優れた統率なしに技術はありえない。この成果は我が社の代表作として世界に誇れるものです。

 

ピエルルイージ・ビオンディ市長

この式典は教会の再開のみならず蘇った新たなラクイラの復活を意味しています。

サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会の再開は精神的、宗教的な復活の瞬間です。1294年、この場所でローマ教皇・チェレスティーノ5世は戴冠し、キリスト教史上初めてのポルタ・サンタ(聖なる扉)を執り行いました。彼の強さ、唯一性の中に我々が見直すべき謙虚さと慎ましさ、赦免の精神を表したメッセージはここから発せられたのです。チェレスティーノ5世によるラクイラのペルドナンツァをユネスコ無形文化財として登録を目指したいと思います。

 

ルチアーノ・ダルフォンソ州知事

この修復のために作業をした人々、出資した人々、そして再開を祈った全ての人々に感謝したい。

ペルドナンツァが広く知られると、ラクイラはキリスト教徒及び文化的に世界の拠点となるでしょう。

 

ラクイラ地方管轄区長ジュゼッペ・ペトロッキ大司教

 

ここはラクイラの地域教会であると共に世界的な教会です。ここで初めてのペルドナンツァ(赦免)が行われたのですから。チェレスティーノ5世による精神的社会的に比類なき考え、謙虚な隠修士であり巨匠でした。

大司教はフランチェスコ教皇訪問の期待について昨夏ペルドナンツァへの招待を企みました。聖堂を中心に様々な方面からの声を調和させなければなりません。

 

宗教建築専門家 教皇大使オルランド・アントニーニ猊下

コッレマッジョは今では見られない飾り立てた中世のロマネスク様式よりも美しいアブルッツォの模範的な様式で、ここが修復され再開したことはアブルッツォにとって非常に重要です。

 

2009年ベネデット16(ベネディクト16)を瓦礫の中で迎えた元ラクイラ地方管轄区長ジュゼッペ・モリナーリ大司教

ベネデット16世はチェレスティーノ5世の歴史や辞任について聞きましたが、

その時彼が”考えさせられる”と言ったか”考える必要がある”と言ったかわかりませんでした。その時すでにご自身の辞任について考えていらしたかどうか誰がわかるでしょう。あの惨状でお迎えの準備を整えることもできず非常に簡素な面会でした

 

200946日大震災がラクイラを襲い、同月28日に訪れた当時のローマ教皇ベネデット16世は瓦礫がおびただしいサンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会で祈りを捧げ、第192代ローマ教皇チェレスティーノ5世の棺に法衣を着せかけた。

チェレスティーノ5世は史上初めて自らの意志で辞任した教皇としても知られているため、2013年にベネデット16世が辞任を表明すると「あの頃すでに辞任を意識し、自らもあやかりたいという意思を秘めての行いだった」との憶測を呼ぶことになった。

 

スルモーナの上に聳えるモローネ山などで修行していたチェレスティーニ修道会創始者の隠修士ピエトロ・ダ・モローネ(1209年〜1215年生1296519日没)は夢枕に現れた聖母マリアのお告げを受け1287年に教会の建設を始め、ローマ法皇に選ばれると1294829日に第192代ローマ教皇ケレスティヌス5(イタリア語名チェレスティーノ5)としてここで戴冠した。

サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会とアトリの聖マリア・アッスンタ教会に聖なる扉(ポルタ・サンタ)を設け開始した免罪の儀式Perdonanzaは聖年(ジュビレオ)の先駆けとも称され、ラクイラでは現在に至るまで毎年82829日に執り行われている。

その後わずか4ヶ月の就任期間で退き、史上初めて自らの意志で辞任した教皇としても知られている。

(写真右端:ピエトロ・ダ・モローネが篭り修行したスルモーナ・モローネ山のエレモ)

 

2015年の夏以来日帰りばかりだったが、久しぶりに10日間近く滞在しラクイラっ子達と年末年始を過ごした。

 1) クリスマス飾りが灯るレンツォ・ピアーノ音楽ホール

2) 大晦日のチェノーネ(夕食会)は幸運を祈ってツブツブ系の食べ物がたくさん

3) スケートリンクが設えられたドゥオーモ広場

4) 妖艶なダンサーたちが華やぎを添える新興地域のピッツェリア

5) 6) 7) 通りによって復旧工事の進み具合も様々

8) 市庁舎で開催中の展覧会

9) 老人ホームで開かれたミニコンサートで歌声を披露するお年寄りの合唱団 Armonie d'Argento (銀のハーモニー)

2017年6月・7月


 

 

吸い込まれるような夏空のせいか、活気を感じるラクイラの旧市街。

 

 

通りを一本入ると未だ人気ない空き地に瓦礫だけが目立つ場所もたくさんあるものの、Fontana LuminosaからPiazza Duomoに向かう通りを中心に営業中の店も随分目につくようになった。

そして防塵幕や足場の下を行き交う観光客が何と多いことか。

 

 

旧市街から歩いて10分ほど、大きなバスターミナル近くのSanta Maria di Collemaggio教会は今まで青々した芝生の向こうにポツンと静かに佇んでいたのが、8月の重要行事Perdonanzaの準備もあるのか足場が組まれて覆いで囲われ動きが見られる。

 

 

観光案内所も開き、食料品店からは観光客たちを誘う威勢の良い声が飛ぶ。

 

しかし肝心の元住民たちはいつ我が家に帰れるのだろう。


2016年7月


2〜3度立ち寄ったラクイラは夏のヴァカンスシーズンで人の姿も多く営業再開する飲食店も増えてきた。

 

しかし2015年に再開されたサン・ベルナルディーノ聖堂が再び追加修復が始まったり、まだまだ手つかずの建物もたくさん。

あちこちの現場では生命力たくましく石の間から伸び成長する草木がちらほら目につく。

 

昨夏知り合ったお年寄り合唱団 "L'Armonie d'Argento"の練習に遊びに行き、元気をたっぷりもらって帰路につく。

2015年8月


サン・ベルナルディーノ聖堂

Basilica di San Bernardino

内部の修復が一段落し2015年5月より公開されている。国の重要文化財として国家予算が投入されたのでスムーズだったという話だ。"青”の色が復興前よりも一層オリジナルに近づき素晴らしいという。

他地域に避難中のラクイラ住民達からは「地元の誇りだから嬉しい」「これで離れ離れになった知り合い達とミサで会える」と喜びの声が聞こえてくる。

震災前はバスターミナルから地下通路で繋がっていたドゥオーモ広場も修復中。
クレーンや足場だらけの町中には工事計画が立ち並び写真の展示もされており、砂煙が上がる足場の下を観光客達が賑やかに行き交う。通行止めで途方に暮れて地図を見ていると工事の人が「迷った?」と陽気に声をかけてくれる。

危険ゾーンに指定された所では自宅に入ってはいけない。必要なものを取りに行くには消防署の許可をもらい必要に応じて係員の立会いが必要だという。

「市は出来るだけのことをしてくれているよ。あと2-3年で家に戻れるといいな。生活には困っていないけれど近所に住んでいた知り合い達に会えないのが一番きついんだ」キエーティに避難中の青年はそう話してくれた。

修復の補助金は市から出るがローンの補償はない。耐震構造と無縁だった建物では地震保険加入も無理。

震災後ローンが払えず自宅を手放す人は後を絶たず競売物件も多いという。

サンタマリア・ディ・コッレマッジョ聖堂

Basilica di Santa Maria di Collemaggio

この美しい聖堂もまた修復され再び公開される日を待っている。

修復を待つ建物の前にテーブルや椅子を並べて営業する店もちらほら。

ドゥオーモ広場のそば、震災後6か月で営業再開したラクイラ名菓トロンチーニを売る店は間もなく修復工事が入るのでもう一度閉めなければと言う。

閉園となった幼稚園を利用しライブや映写会などイベントを開催しているヴォランティア団体もある。

スペイン要塞近くの繁みに並ぶ小屋。飼い主をなくした犬達のためにヴォランティアが設置したという。

『銀のハーモニー』

お年寄りの権利を守る協会が主宰する合唱団では音楽学校の先生方が合唱を指導する。指揮者の女性教授は言う「震災で一番傷ついているのはお年寄りなの。今まで生きてきた思い出に繋がるものが全て一瞬でなくなってしまったのだから。私はラクイラを離れない。だって私の町だから。ラクイラは本当に美しいの。時間はかかるでしょう、でも絶対に復活するのよ」

『Associazione per i Diritti degli Anziani』

お年寄りの権利を守る協会の活動は多岐にわたる。『Scuola senza eta』(年齢のない学校) はお年寄りから子供たちに伝統を伝えるイベント。伝統に縁ある場所が崩壊してしまった今その重要性は高まり、同時にお年寄りの生きがいにも繋げたいという。


オンナ (Onna)

2009年震災時、僅か100名程度の住民のうち40人余りが亡くなったというラクイラ県オンナ。

未だ修復の兆しはない。住民の方々はすぐそばの仮設住宅に住まわれているという。

ちなみにこの町では第二次大戦中もナチスドイツ軍に住民が殺される悲劇があったという。

2015年4月


http://www.abruzzoweb.it/…/laquila-pasquetta-a-…/566929-302/
ci sono voci degli aquirani e di chi hanno cuore per L'aquila... 

【訳】
ラクイラ:イースター期間にメモリアルデーを迎え町の中心部に集まる人々

2009年4月6日の大地震からちょうど6年後の昨日は折しも世界中がイースターを祝う時期に重なった。
昨朝、厳しい寒さや時折降る雪にもかかわらず旧市街に集まったたくさんの人々、イースターを伝統的な料理で祝わず6年前の記憶と痛みが蘇るこの場所に来ることを選んだ人たちだ。震災前の日常生活がほんの微かに偲ばれる道から子供連れの家族やお年寄り達が街角で足を止めてはおしゃべりしながら ヴィットリオ・エマヌエーレ通りやドゥオーモ広場に歩いて行く。

全国局のテレビカメラやカメラを抱えた観光客達も後を絶たず建築現場やクレーンを撮影しようと意気込んでいるが、そこかしこの建物もいまだパイプや金属で覆われたままなのだ。

中心部に向かう多くの住民たちにとって、あの日3:32に人生を飲み込んだ揺れ、あの日の記憶にに立ち返るほど大きな衝撃などあろうか。続き

 

2009年4月大震災に襲われた州都ライクラ。

2019年で10年が経ちますが現在も町の大半は工事中で、旧市街の自宅に帰れる日を待ち望む住民たちは少なくありません

避難生活を免れた住民からは「工事の音で目覚める生活はもううんざり。あまりにも長すぎる」という本音を耳にすることもあります。

それでもクレーンや足場の下を行き交う観光客達や修復を待つ建物の外壁沿いにテーブルを並べて営業するレストランやバールなど町は脈打ち、傷痕をさらしながら少しずつゆっくり回復していくラクイラの底力を感じます。

諦めない・焦らないラクイラっ子達のエネルギーを感じながら歴史ある美しい町が再建されていく経過、歴史の1ページに立ち会ってみませんか?

(2015年2月)

2015年2月


冬の昼下がり、鉄道駅から99の泉を通り過ぎて坂を上り町に入ると人の気配はない。州内あちこちで耳にした声が蘇る。「行くだけ無駄だよ、ゴーストタウンだから。」「しなきゃならないことは山ほど残ってる、作業員も州内にたくさん余ってる、ないのは金だけさ。」

誰もいないので震災前の活気を勝手に想像しながら歩いてみた。

防護幕には「ラクイラは生き返る」と書いてあるが大通りに人の姿は見えない。

それでも工事の作業員達は明るく「そのうちね。」と笑う。

この窓はきっと贔屓のサッカーチームの旗や洗濯物がたくさん掛かっていたに違いない。

植木鉢や洗濯物干しが避難した時のまま残っている。

避難先では皆ちゃんと信頼できるドクターを見つけられたのだろうか。

郵便局も中を覗くと瓦礫の山。


ドアベルだけが以前のまま。きっと1日に何回も鳴ったのだろう、ここの人達は家を訪ね合って話し込むことが多いから。

1階にUpimの看板。衣類がずらりと並んでいただろう。レジでは後ろの列にお構いなしにおしゃべりするシニョーラと店員さん。

この美容院のお得意様たちが今頃ヘアスタイルを楽しむ状態にいますように。

弁護士のところにはどんな人がどんな相談に訪れていたのだろう。

ここに駐車してレッカー移動された人、絶対いたはず。

携帯ショップ。ここは絶対賑わっていたはず。看板だけははっきり残っている。

学校では授業中に宿題のノートをこっそり回したり携帯で放課後の連絡を取り合っていたり。

日曜日のミサにはお年寄りから子供まで次々集まり賛美歌を歌ったり神父様のお話を聞いたり。普段の日も買い物ついでのシニョーラが立ち寄りお祈りしてキャンドルを灯していたかもしれない。

不動産屋さんが仲介していた物件は今頃どういう状態なのか。


2013年8月


震災後4年経過してもこの状態、町にいるのは軍隊のみという状態に愕然としたものだった。

99噴射口の泉 (Fontana delle 99 Cannelle)

昔ラクイラには99の村がありそれぞれのための99の教会と99の泉があった、という言い伝えがある。ラクイラ住民たちにとって象徴的な場であり人が集まる社交場でもあった泉の再建はモータースポーツ界と強い繋がりがある。

アブルッツォ出身元F1ドライバーのヤルノ・トゥルーリが震災後直ちに設立した支援基金『Abruzzo nel Cuore』に賛同した多くのモータースポーツ関係者達の寄付金が充てられたのだ。モータースポーツファンの方は2009年フェラーリのサイドポンツーンに貼られていたABRUZZ♥というステッカーを思い出されるかもしれない。