自然と芸術が交錯する古代都市アトリ

テーラモ県アトリはアドリア海沿いのピネートとシルヴィ(どちらも1900年代に分離するまでアトリの一部だった)から内陸部に入ったペスカーラ県との境に位置する古代都市で起源は紀元前10-11世紀の鉄器時代まで遡る。Hatria(ギリシャ・ラテン語)Hadria(イリュリア語)という町の名前はアドリア海の名の由来となり(ヴェネト州アドリアと係争中)ハドリアヌス帝の先祖アエリ家発祥の地として紀元前よりローマ人と同盟を結び独自の貨幣を持つ重要都市であった。

サンタ・マリア・アッスンタ聖堂

『アブルッツォのシスティーナ』とも言われるサンタ・マリア・アッスンタ聖堂。

ふんだんにスペースを使い描かれた『聖母マリアのストーリ』や海をモチーフとした足元の精緻なモザイク画など歴史美術館さながらだ。

 

地下に見られる時代の変遷

紀元前290年ローマ人が侵攻しヘラクレスに捧げる神殿が建てられた。後にそこに貯水槽が作られローマ時代になるとカラカラ浴場と同じシステムを取り入れ改造された。西ローマ帝国衰退後、野蛮人に侵略され荒地となったが紀元1000年に近づきキリスト教が広まると礼拝堂が必要になった人々は浴場の瓦礫を使って教会Ecclesia di Sancta Maria De Hatria(現在のCattedrale di Santa Maria Assunta)を建設した。貯水槽の遺跡は現在も聖堂の地下で見ることができる。

ジュビレオ(聖年)の始まり

日本ではそれほど知られていないGiubileo(聖年)は元々25年に1度Porta Santa(聖なる扉)が開かれ罪を赦されるという宗教行事(現在ちょうどフランチェスコ教皇によって201511月より1年間特別聖年となっている)1300年第193代ローマ教皇ボニファッチョ8世により始められた。世界中のカトリック教徒にとっては重大な儀式Giubileoだが、それ以前からアブルッツォでは第192代教皇チェレスティーノ5世による同様な行事があったことはあまり知られていない。Perdonanzaと呼ばれる儀式はラクイラのSanta Maria di Collemaggio聖堂とアトリのSanta Maria Assunta聖堂にPorta Santaが施され行われていた。しかしボニファッチョ8世といえば陰謀を巡らせチェレスティーノ5世を辞任に追いやったと噂される人物、或いはペルドナンツァのアイデアまで拝借していたのだろうか…?

 

 

市立歌劇場・ドゥオーモ広場
 

素晴らしい状態で保存された19世紀の劇場はミラノ・スカラ座を模した外観とナポリ・サンカルロ劇場内部を再現した趣を持つ、テラモ県で唯一現在も使われている劇場である。木造りの建物は優雅さとモダンさの過渡期の特徴が見られ、ステージに面したでドーム型の天井には金のスタッコ仕上げでグリフィンを伴う美しいミューズたちが描かれている。ステージに下げられた幕は珍しく貴重な生地が使われ地方の負債を燃やしたというアエリウス・ハドリアヌス帝の有名なエピソードがあしらわれている。

 

 

 

ドゥカーレ宮殿・アクアヴィーヴァ公爵広場
 (写真左下)

アクアヴィーヴァ公爵により公国の首都となった14世紀より建設されたドゥカーレ宮殿は、初期に要塞としての重厚で厳格な様式が反映された後、次第に宮廷らしい優雅な装いが加わった。当時の宮廷に共通する特徴を表す宮殿中央の中庭から階段を通じて一族の栄華を物語る優雅なフレスコ画の居室が現在も保存されているメインフロアの公爵の住居に繋がっている。

地元でもまだあまり知られていないが、スペインの名作『ドン・キホーテ』はこの地で着想を得たものだという説がある。

アトリの貴族アクアヴィーヴァ家の執事として働いていた作家ミゲル・デ・セルバンテスはジューリオ・アクアヴィーヴァ公爵をモデルに物語を書き、ドン・キショッテ(イタリア語名)という主人公の名前の由来はジューリオがまとっていたお腹回りの膨らんだ赤いパンツChisciotte (キショッテ)から来たと言うものだ。

ドン・キホーテ発祥の地としてアトリのドゥカーレ宮殿やアクアヴィーヴァ公広場を歩いてみるのも面白いかもしれない。

 


写真: 左上 サン・フランチェスコ教会 右上 ドゥカーレ宮殿 左右下 サン・ニコラ教会 

アトリの教会群

アトリには美しい宗教的な建物が点在しています。サントアゴスティーノ教会(現在の公会堂)を始めエリオ・アドリアーノ通り沿いのサン・フランチェスコ教会はフランチェスコ修道会の最も古い教会として知られるが、これはアトリ出身フィリッポ・ロンゴ修道士が1208年より7番目の仲間である聖フランチェスコに従ったことが大きく寄与している。サン・リベラトーレ教会、町で最も古いサン・ニコラ教会、サンタ・キアラ・ディ・アッシジ教会や未だ出入り禁制が守られている数少ない修道院のひとつクラリッセ修道院。サン・ジョバンニ・バッティスタ教会はドメニコ会の存在の大きさと唯一残る古代都市の通用門の名前からサン・ドメニコの名でも知られる。この他にもあまり知られていないものや現在では個人的仕様の建物に組み込まれたものなど多くの教会が存在しており、中世初期から15世紀のルネサンスや華麗なバロックを経てネオクラシックに至るまで影響力のある修道会の増加と継承に伴い勢力を伸ばした時期に応じ異なる特徴の彫刻、シンボル、神秘的図像など多様な芸術スタイルが見られる。

 

聖アゴスティーノ教会
 
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂の筋向かいに建つアトリの聖アゴスティーノ教会の扉脇にはひっそり慎ましくカタツムリ像が。ゆっくりペースの彫刻家Matteo da Napoliが人々から「まだか、まだか」「一体いつになったら出来上がるのか」と言われながら作業を進め、仕上げに自分のサイン代わりに彫ったという逸話がある。

 

カランキ
 

WWF/OASIの保護区域に指定されている『カランキ』もアトリ名所、約200万年前アドリア海がグランサッソ斜面まで達して頃の名残、自然の創造物だ。

独特な光景はダンテの神曲『地獄篇』の地獄の溝としても知られ、中世に犯罪者の処刑地となった3つの磔刑の十字架を持つ丘は『正義の丘』と呼ばれている。1800年代末『正義の丘』で墓が見つり発掘品の一部はアトリの考古学博物館に保存されている。

ダンテの『地獄篇』と言えばボニファッチョ8世、アブルッツォの誇るチェレスティーノ5世を追いやったとされる彼は『地獄に落ちた教皇』として描かれていることも有名な話だ。

カランキには自然道を歩く6kmのルートがありますが、始めの1km地点のサン・パオロ礼拝堂で折り返すこともできる。また粘土質土壌にはアルミニウム粒子が混ざっているので月明かりに照らされ幻想的な光景を醸し出す夜の散歩もオススメ。

グランドキャニオンのようなカランキは西部劇のロケにも使われているそうなので案外身近な存在かもしれない

サン・パオロ礼拝堂

アトリのカランキを見下ろす聖パオロの礼拝堂の中にはキリスト教以前の名残とされる石と古くからの伝説が残っている。厄除けの儀式に訪れる人々は礼拝堂の中で裸にした幼子を石にのせてワインで洗い新しい服と食べ物を与えられ、石を小さなナイフで削り取ったものを小さな袋に入れて帰路についていたと言う。

Service 1

アトリにルーツを持つハドリアヌス帝のエピソードを紹介しながら

サンタ・マリア・アッスンタ聖堂

市立歌劇場

古代競技場遺跡

ドゥカーレ宮殿

などアトリの主要な見どころを歩きます。

散策の後はアブルッツォ名物の試飲・試食あり。

Service 2

自然の創造物カランキをOasi WWFガイドがご案内します。

日中のトレッキングコースの他、カランキの土壌に含まれたアルミニウム粒子が月光に反射してキラキラ輝く満月の夜のコースもご用意しています。

<<夏季限定開催>>

 

Service 3

以前はアトリの一部だったピネートのチェラーノ塔は古代都市アトリの港があったと言われ、正面の水中には古代港の遺跡があります。

1〜2時間で塔の中を見学するコースの他、周辺も含めたエコツアーもあります。


お問合せは Hidden Italy Tours までどうぞ。日本語対応も可能です。